易経入門

易経入門 ①

第一章 「易経」概論

一.「易経」とは何か

一般的なイメージとして、「易経」と聞いたら、すぐ「風水」や「占い」ということを頭に浮かぶ人が多いでしょう。これは大きな間違いです。

風水や占いは「易経」のわずかの一部分にしかすぎません。

「易経」(周易ともよぶ)は、最初の八卦(はっけ)という符号ができてから、孔子様(紀元前551年9月28日―紀元前479年4月11日)がより詳しい注釈(「易伝」(えきでん))をつけてから、約2800年の歴史を経ていました。

この2800年の中に、主に三人の聖人によって、「易経」という学問を築きました。

紀元前3000年ごろ、伏羲(ふっき、紀元前3350年?~紀元前3040年?)によって、八卦が作られました。

紀元前1000年ごろ、周文王(しゅうぶんおう、紀元前1152年-紀元前1056年)は八卦を六十四卦に増え、文字を入れました。

そして紀元前500年ごろ、孔子が注釈した内容を「易伝」と名付け、易学の重要な構成部分になり、今の「易経」となりました。

 易経は一体どんな学問なのかについて、孔子様は、「假我数年、五十以学易、可以無大過矣(たとえ私は数年前、五十のごろから「易経」を学び始めれば、大きな過ちをしないだろう)と語りました。

また、中国史上最も名高い盛代である貞観の治の時代の名臣である虞世南(ぐ せいなん、紀元558年~638年)は、「不読易、不可為将相」(易経を学ばなければ、将軍や宰相には成れない)と嘆きました。

 「易経」は、中華文明の源であり、国家を治める経典であります。中国伝統文化を支えてきた諸文化、例えば儒家(代表人物:孔子、孟子)、道家(代表人物:老子、荘子)、法家(代表人物:韓非子)、兵家(代表人物:孫子(孫子兵法)、陰陽家(代表人物:鄒衍(すう えん))などの諸子百家の源でもあります。

ほかに、漢字、漢方医学、中国古典文学・天文学・数学・建築などいわゆる分野の学問の源と視されます。

© 2021 易海陽光

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コメント

    • 山田 太郎
    • 2021.09.06

    「不読易、不可為将相」の出典を探しているのですが、なかなか見つけられずにいます。
    どういう証拠があって虞世南の嘆きだと謂われているのでしょう?

    • japan-ekikyo
    • 2021.09.06

     メールをいただきまして、ありがとうございます。「不読易、不可為将相」という言葉は、虞世南の名句として、よく易学者に転載されています。具体的な出典は調べたのですが、「永楽大典」と「四庫全書」に載せているとしか記載がないのです。
     私の考えとしては、この句をよく引用される意義は、歴代が「易経」をいかに大切にしていたのを強調します。歴史上の名臣、例えば、周の太公望、漢の張良、三国の諸葛孔明、唐初の魏征、唐玄宗時代の李鼎祚(りていそ)、明の劉伯温など、昔の政治家、軍事家、文学家、医者などそれぞれ領域に優れた方々は、皆易の達人でした。特に李鼎祚は、安史の乱を終結させるために力をいれたが、彼の最もの功績としては、「周易集解」を編著したので、「易経」の研究に非常に重要な著書となります。

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