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道教の聖地・龍虎山での得度――天師府に導かれた五日間の記録

中国江西省鷹潭市(ようたんし)にある上清鎮(じょうせいちん)は、とても小さな町ですが、紀元1105年に「天師府(正式名称:嗣漢天師府/しかんてんしふ)」が創建されて以来、約千年にわたり道教の聖地として知られています。

上清鎮に足を踏み入れた瞬間、まるで歴史が沈殿しているような空気が町全体に漂っており、すぐにこの古い町の魅力に引き込まれました。私はここに五日間滞在しましたが、決して豊かとは言えず、むしろ近代化の波から取り残されたような静けさがありました。しかし、俗世に染まることなく、人々の暮らしは素朴で、表情も穏やかで豊かです。まるで「世外桃源(この世のものとは思えぬ理想郷)」のような場所だと感じました。

道教は、中国の漢代に張道陵(ちょう どうりょう)師によって創始されました。初代天師である張道陵師は、漢王朝の創建に功績を残した名臣・張良(ちょう りょう)の八代目の子孫とされています。紀元142年、張道陵師は、道教の最高神である太上老君(たいじょうろうくん/老子)から啓示を受け、四川省において「五斗米道(ごとべいどう)」を開宗しました。この教派はのちに「正一道(せいいちどう)」あるいは「天師道(てんしどう)」と呼ばれるようになります。その後、第四代天師・張盛(ちょう せい)の代に、道教の拠点は江西省の龍虎山・上清鎮へと移され、ここに「天師府」が築かれました。この天師府は、現代に至るまで道教の中心的な拠点として脈々と受け継がれていま

龍虎山では、道教文化の影響が非常に色濃く見られます。観光客が道教文化を体験できるよう、毎晩「尋夢龍虎山」というイベントが開催されています。私も見に行きましたが、大変感動しました。舟が龍虎山の麓から出発し、山を背景に芸人たちが修仙(仙人になる修行)の様子を演じるのです。その幻想的な雰囲気は、まるで仙境を通っているような体験であり、心が洗われ、身も心も清らかになる思いでした。

道教は、創始から約2000年にわたり、中国をはじめとする東アジアの文化や思想に深い影響を与え続けてきました。特に唐・宋・元・明の各王朝においては国教として重んじられ、日本とも交流を深める中で、道教文化は日本にも大きな影響を及ぼしました。たとえば、天文暦法や符呪文化、陰陽道の発展にも道教が関与しており、これは紫式部の『源氏物語』にもその影響を見ることができます。

中国の歴史上、重要な人物の中には道士であった者が数多く存在し、中国文化に大きく貢献をしました。たとえば、春秋時代の范蠡(はん れい/文財神として、武財神の関羽と共に崇敬される)、三国時代の諸葛孔明、東晋の葛洪(かつ こう)、書聖と称された王義之(おう ぎし)、唐代の詩人李白、医聖と称される孫思邈(そん しばく)、画聖呉道玄(ご どうげん/呉道子)、茅山派を創立した陶弘景(とう こうけい)、宋代の陳摶(ちん たん/陳希夷とも)、そして元代に全真道を創立した丘長春(きゅう ちょうしゅん)などが挙げられます。

天師府では、毎月旧暦の十五日に、道教の最も重要な儀式のひとつである「伝度大典」が執り行われます。伝度(でんど)とは、道教の信者が教団に入り、正式な道士となるための儀礼です。この儀式では、戒律を授かり、天師からの牒籙(ちょうろく)を受けて、正式に道教の世界に入門します。伝度を受けるには、あらかじめ道教の師の同意を得る必要があります。

私もこのたび、道教金廣正一盟威道(きんこうせいいちもういどう)の師範である安勇全(あん ゆうぜん)師(下の写真の中央)の同意を得て、2025年4月12日(旧暦三月十五日)に伝度を受け、正式に道士となりました。また、翌日に安勇全師に拝師し、これから師のもとで道教の深遠なる教義と、上級の法術を学んでいき、心身をもって実践してまいります。

これからは、清らかな道を志し、道教の戒律を守り、修道者としての責任と覚悟を胸に、修行と実践を続けてまいります。

この聖なる日に得度できたご縁に深く感謝し、今後も正道を歩み、世のため人のために、身につけた道の教えを伝えていく所存です。

令和七年五月吉日

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