東洋哲学

「論語」述而第七

子曰。假我数年、五十以学易、可以無大過矣!

ほとんどの解釈は、このようになる。

「子曰く、我に数年を加え、五十にして以(もっ)て易を学べば、以て大過なかるべし。」

このような解釈の場合、孔子様は四十代の時に話したと考えられ、孔子様自身が「易経」を学ぶのはまだ早いので、五十歳になってから勉強するしようと決意したのではないかと考えれる。

しかし、私はこのような解釈を断章取義だと感じる。

「史記」によれば、孔子様は若いとき「易経」を勉強したことがあるが、なかなか上達できず、五十歳を過ぎたのち、一度、中国道家思想の始祖、「道徳経」の著者の老子様に「道」(宇宙自然の規律)について教えを求めた。

老子様は数日間孔子様と話した記載がある。

これは、歴史上有名な「孔子問道」である。

孔子様は、老子様と別れ、帰る途中、弟子たちにこう言った。

「鳥,吾知其能飛;魚,吾知其能游;獣,吾知其能走。走者可以为罔,游者可以為綸,飛者可以為矰。至于龍、吾不能知?其乘風雲而上天。吾今日見老子,其犹龍耶!」

(翻訳:私は鳥が飛べることを知っている。魚が、泳げることを知っている。野獣が走れることを知っている。走るものは、落とし穴で捕まえる。泳ぐものは網で捕る。飛ぶものは矢を射て捕まえる。しかし龍については、私は知ろうとすることはできない。龍は風と雲に乗り、高い青空まで飛んでいける。私は今回老子と会って、老子は本当に龍のような存在なのだ!」)

それから、孔子は「易経」について深く理解し、研究し続けました。

孔子様の思想は、老子様からの影響は大きいのだろうと考えられる!

ということにより、孔子は「假我数年、五十以学易、可以無大過矣」を語った時期は、五十歳を超えたのだろう!

したがって、この言葉について、こう訳したほうが本意に近い。

「孔子はこう語る。たとえ私は数年前、五十のごろから「易経」を学べば、大きな過ちをしないだろう!」


© 2021 易海陽光

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