四柱推命とは、人間の生年、月、日と生まれた時間を、十天干と十二地支のそれぞれの文字に変えて、四本の柱のように人間の一生の運命を支えられるため、八字とも呼ばれる。
四柱推命は、大まかに分類すると、伝統派と盲派の二つの大きな流派がある。
盲派四柱推命は、伝説では、中国の漢王朝(紀元前202年~紀元220年)の東方朔(とうほう さく、紀元前161年~紀元前93年?)より作られた。
東方朔は、漢武帝の時の政治家と易学者であったが、道教の神仙でもある。
「西遊記」の中の太白金星は、東方朔である。盲派四柱推命の伝説によると、東方朔人間に化けて、民間に散在した盲人達を、社会に役に立つことができるように、盲人にふさわしい算命術を理論化にして、盲人に伝え、盲派という流派を確立した。
健全な人は盲人の仕事を奪わないように、盲派に厳しいルールを作り、盲派四柱推命の理論をいかなる理由であっても、健全な人に教えてはいけない。
たとえ自分の息子であっても、目が見えるのなら、教えてはいけなかった。それから、2000年以上の歳月にわたって、歴代の盲派八字の先生は、このルールを厳守し続けてきた。
しかし、中国で文化大革命が発生し、中国の昔の伝統文化はほとんど打倒されて、特に易経に基づいた風水、四柱推命などの占いは、迷信として潰された。
風水、占いの先生達は、牛鬼蛇神として迫害されて、大勢の先生方は亡くなった。
私の恩師の秦倫師先生は、当時、地元で漢方医として生き残ったのだ。
文化大革命が終えて、中国は改革開放の時代に入り、風水や占い業も解禁された。
生き残った易学の先生の方々は再び出て、5000年も伝わってきた易学を救うために、立ち上がって、易学に関する諸学問を教え始めた。
盲派は本来ルールが厳しかったので、歴史の中で、かなりの秘術を失ってしまって、非常に惜しかった。
さらに、文化大革命などの運動より、たくさんの先生方がなくなって、盲派四柱推命に大きなダメージを与え、本当に後世に伝わらなくなる可能性があるので、有識の数名の盲派の先生は、盲派四柱推命理論を社会に公開するように決意して、2000年以上に民間に神秘感を持つ盲派八字は、一般人向けに教え始めた。
盲派八字は、伝統派四柱推命と根本的な違いは、伝統派四柱推命は、日干の旺衰を重視し、その他の七字は日干との六親関係を決め、それぞれの五行の旺衰より用神と忌神を決めて判断する。
盲派八四柱推命は理法、象法と技法を中心にして、天干地支間の組み合わせを最も重視する。
また、日干を中心にするだけではなく、八つに文字を皆大事にして、必要に応じてそれぞれの字を中心にして分析する方法である。
ほかに、伝統の陰陽理論、四柱と八卦との関係などの運用によって、あたり率は非常に高いのだ。
象法とは、「易経」の「象・数・理・占」の中の象の部分である。易学は、宇宙のすべての物は、「象・数・理・占」の視点から研究することができる。
易海陽光は、よくセミナーでこのような例で易経の「象・数・理・占」の関係を説明する。
「時計」と言うものは、人間にとって一番身近なものである。
- 時計を見ると、外観、形、色、針、など、すべて「象」である。さらに、時計内部の部品の形は、隠れる象である。
- 時計の中の数字もしくは目盛りは「数」です。また、時計の各寸法、部品の寸法なども「数」である。
- 針が動く原理、時計は時間を示す原理は「理」である。
- 朝8時に、夕方の20時10分の時の針の位置はどこにあるかと思ったら、だれでもすぐにその位置を創造できる。これは「占」である。
盲派四柱推命は、易経のこの象法の部分を取り入れて、命式と大運流年の天干地支を形象化にして判断する方法である。
象法は、天干地支の象、宮位の象、十神の象、神煞の象などがある。
日干の旺衰、命式の格局、用神忌神などを全く考えずに、象法だけでは、大運と流年の吉凶、どのようなことが発生するのかについて判断できる。
さらに理法と技法と合わせて判断すると、伝統派ではとても手に負えないのだ。
本協会は、日本で唯一盲派四柱推命のセミナーを設けるので、ご興味のある方は、お問い合わせください。
下の例は、易海陽光が盲派の象法を使って占った例である。
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