揺鞭派風水は、中国の風水界では、神秘かつ歴史が長い風水流派の1つです。

中国古来の風水流派は、概ね八つがあり、揺鞭派風水はこの中の1つにあたります。

揺鞭派は中国清王朝の嘉慶皇帝(かけいこうてい)(在位1796年~1820年)の間に、中国江蘇省出身の凌禎松(りょうていしょう)先生より創立されました。

凌禎松先生は嘉慶帝の欽天監(古代朝廷の天文台を管理し、天体の運行を観測し、国家の安全を占い、暦法の推算、祭祀や儀式の日時を択日、皇帝一族の墓地の立てるなどを管掌する職務)を勤め、天文地理を編著、宮廷の風水レイアウトなどを担当したが、朝廷の権力者に逆らったため、陥れされて流刑に処されました。

その後釈放され、故郷に隠居し、政治と離れ、庶民に風水を鑑定しながら、著書して、揺鞭派風水を創立した。

凌師は手に鞭を持ち、驢馬に乗って、四方を周遊したので、流派を「揺鞭派」と名付けました。

揺鞭派風水は、易学の理に基づいて、主に八宅二十四星納甲と九星翻卦法を基礎にして、その他の七つの風水流派の理論や技をまとめて、建物の立向、分金、尋龍、点穴、化煞、択日など独特のやり方を作りました。

凌禎松先生は弟子入りについて、非常に厳しく、揺鞭派の規則も厳しい基準を定めたので、歴代揺鞭派弟子はとても少なかったです。風水業界ではとても保守的で、揺鞭派風水を使って風水鑑定する人は極めて少ないのです。

私の恩師の故秦倫詩(しんろんし)(1939年~2017年)先生は、揺鞭派風水の第六代目の師範(中国では「掌門人」と呼び、流派を握る人)として、現代中国風水業界では名が知られています。

恩師は中国江蘇省の出身で、漢方医学を世襲していた家族で生まれ、六十年余り易学研究を続けました。

幼いころから、当時民間の素晴らしい風水先生の元で熱心に勉強をしていました。

その後、揺鞭派風水の第五代目の掌門の尹礼儒(いんれいじゅ)先生の唯一の入門弟子となり、揺鞭派風水を学び始めました。

尹礼儒先生は亡くなる前に、揺鞭派の歴代先生の手稿や案例をすべて恩師に伝授し、恩師は世に伝わるために、一生懸命整理し続けたのですが、1960年代からの文化大革命で、宗教易学などは封建迷信として禁止され、手稿などの資料もほとんど没収し、燃えされて、非常に惜しいこととなりました。

その時、易経風水などを従事する先生の方々は、本業をやめて、ほかの職業に転換しました。

恩師も漢方医として生き残ったのです。

1980年代ごろから、改革開放政策より、易学も解禁されて、恩師は再び風水学を続け始めました。

恩師は文化大革命期間中に、中国の伝統文化はひどく破壊され、多くの文化の伝承が途絶えになったことを非常に惜しく思い、できるだけ風水学を伝承できるため、1993年に、中国の黒竜江省のハルビン市で「ハルビン易経科学研究所」を立ち上げ、セミナーを設け、風水を教え始めました。

揺鞭派風水は、第一代目の凌禎松先師から第六代目の秦倫詩師匠まで、歴代の入室弟子は数名しかいませんが、揺鞭派風水を途絶えさせないよう、第七代目から少し規則を緩め、入室弟子の人数を少し多くなりました。

また、恩師は易学を広げるために、生涯をかけて著書を残しました。

1997年に、「中国易学博覧」シリーズの第一部「周易予測応用経験学」(断易専門書)(後は「六爻応用経験学」と書名変更)を出版しました。それ以後、「風水応用経験学」、「羅盤応用経験学」、「八字応用経験学」(四柱推命専門書)、「姓名応用経験学」、「易学指掌万年暦」計六冊の著書を出版しました。

師匠の著書は、自分の五十年あまりの実務経験にしたがって書かれ、易学界で大反響されました。

その中の「周易応用経験学」は1997年に初めて出版されてから、十三回ほど増刷されました。

読者からの手紙は14,000通以上ほどあり、国内外からの電話やメールなども数えきれないほど殺到しました。

恩師は世界中で易学を広げるために、積極的に世界の易経大会に参加し、主催としても執り行いました。

1999年に北京の釣魚台国賓館(ちょうぎょだいこくひんかん)(中国政府の最高規格の迎賓館)で政府主導の新年会の座談会で、「易経は中華民族の魂」と論文を発表。

2003年には、インドネシアで開催した第六回世界易経大会に参加し、大会後、バンドンの国家治安本部の風水を鑑定し、当時のインドネシア大統領のメガワティさんにも引見されました。

同年6月、香港の雑誌「中国評論」は、恩師の「周易予測応用経験学」と恩師のことを報道し、「中華神秘文化の集大成者」と高い評価をされ、中国の易経文化を世界で広げるために貢献されました。

2004年に、中国河南省南陽市で開催した第七回世界易経大会で理事として参加しました。

 2007年8月、ハルビンで第十回世界易経大会を開催し、参加者は世界の十六の国と地区から計588人が参加、恩師は主催者を務め、参加者に全員著書の「中国易学博覧」シリーズをプレゼントし、易学を世界中に広げるために力をいれまいた。

2010年、北京の人民大会堂で「中国伝統文化学術検討会」を主催しました。

そして恩師は計38回の易学講座を開催し、若者の易学人材育成に一生勤めました。

 小生は2014年に恩師の風水講座に参加し、恩師とのご縁を結んで、翌年入室弟子にしていただきまいた。

初めて恩師にお会いした時、恩師からこのような言葉をいただきました。

「中華の易学を世界に広げよう!」小生は恩師の教えを肝に銘じておきながら、これからも日本で易学を広げるために一生懸命勤めます!

 易海陽光

2022年12月吉日

 

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